真宗大谷派 祐善寺

真宗大谷派 祐善寺

住職ごあいさつ

住職 岡崎賢

住職 岡崎 賢

2020年初頭から騒ぎ出した中国由来の新型コロナウイルスは、1年半経った現在でもなお、全世界を震撼させています。人との交流も遮られ、個人の行動も制限させられ、社会生活は一変しました。
とりもなおさず、寺を取り巻く社会環境も想像できないくらいに窮屈になってきました。
そのような折りに、“オンライン葬儀”とか“オンライン法話”とかの話題が聞こえてきました。
実際に私のお寺でも、“オンライン法事”を行ったご門徒さんがおられます。
関西地方にお住いの息子さん家族も関東地方にお住いの娘さん家族も、感染拡大防止のために県外との往来を自粛せよ!とのお達しで、母親の法事に参詣できないと言うことで、ご門徒さん宅と息子さん宅、娘さん宅をオンラインで結んでお母さんの7回忌法要をお勤めしました。
私にとっては初めてのことで違和感がありましたが、よくよく考えれば、今やAI(人口知能)が私たちの暮らしの中にも大きな役割を果たしつつあることに気が付きます。
このたびのコロナ禍をきっかけに、これまで寺で行なってきた法要や仏事そのものの様式が、情報社会の進展と相俟って大きく変遷していくような予感がしています。
そして、寺の在り方も、時代社会のニーズに従って変容していかねばなりません。
そこで、私はまずはじめに、10年前に立ち上げていたホームぺージをリニューアルすることにしました。これまでのホームぺージは更新されることもなく広く周知することもありませんでしたが、このたびリニューアルしたホームぺージは、門信徒の皆様のみならず、広くご縁を頂く全ての方々に覗いていただくよう願っております。
このホームぺージを訪ねていただいた皆様に、有用な情報等を発信できますよう、努めてまいりますので、どうか末永く可愛がってくださいますようお願いしまして、ホームぺージ開設のご挨拶とさせていただきます。

合 掌

2021年11月

祐善寺の概要

祐善寺
祐善寺
宗旨
浄土真宗
宗派
真宗大谷派
宗祖
親鸞聖人
本山
真宗本廟(東本願寺)
山号
岡﨑山
宗教法人
祐善寺
住所
福井県丹生郡越前町上糸生20-2
電話&FAX
0778-34-5170
本尊
阿弥陀如来
所依の経典
浄土三部経(佛説無量壽経・佛説観無量寿経・佛説阿弥陀経)
寺宝
六字名号(蓮如上人直筆) 他
住職
第二十二世 岡崎賢
由緒
当寺は、西暦724年泰澄大師が創建され、はじめは天台宗でしたが、その後、室町時代に入ってから、足利将軍義尚の傍臣、岡崎太郎が出家して当寺に住持しました。
文明年間、本願寺第八世蓮如上人、越前の吉崎行化に際し、上人の徳化に帰して真宗に改宗しました。歴世本願寺の分立に際し、祐善寺第九世玄順が大谷派に帰依し、次第相続して今日に至っています。
当寺の寺地は、古来、越前町(旧・朝日町)下小川祐善地にありましたが、災禍に遭い明治24年、現在の寺地に移転いたしました。
岡﨑正鈍
(おかざきしょうどん)

1836~1886。宗教家。画僧。中国開教師。
秋田城下浄弘寺矢田理貫の子として生まれ、自笑と号す。はじめ滋賀県物部村永願寺の学寮・勢月寮、のち実兄の三国町智教寺木津祐謙に師事して破塵観で学び、その社中の筆頭となった。
明治2年(1869)丹生郡糸生村真宗大谷派祐善寺の嗣子となり、18世住職を継ぐや自坊に自笑観枕流舎という学寮を営み、『往生論註』『四帖疏』『愚禿鈔』等を講じて、他県からも参集した多くの門弟を養成した。
同7年、東本願寺法主の厳命を奉じて木津と能登の霊崎頓成の異義を調理し、9年には清国上海の江蘇教校の教授となる。上海の著名な文人孫藹人・銭子琴らに質し、学ぶところ多いことなど交流の状況等を日記にまとめた『支那在勤襍志』は、明治初期の海外開教の内容を知るに足る好史料である。
彼は博学にして能書家で南画をよくした。著作として『真宗要因五十題略述』六巻をはじめ二十五部を数える。大正12年(1923)本願寺より嗣講の学位を贈られた。

印牧邦雄編『郷土歴史人物事典福井』第一法規出版 所収

真宗 2018年10月号